作家の石碑

【杉田久女文学碑】

灯ろうと紅葉

久女は明治23年5月30日に鹿児島赤堀家の3女として生まれ、明治42年、二十歳のとき 画家の杉田宇内と結婚、北九州市の小倉で人生の大半を過ごします。 兄である月蟾から手ほどきを受けて俳句の道へと進み、昭和9年6月ホトトギス同人となり、 後に破門されます。 堺町は久女が最も永く住んでいた土地で、広寿山福聚寺の末寺である円通寺にもよく通って、 ここでも句をよく詠んでいました。 「無優華の樹かげはいつこ佛生会」、「三山の高嶺つたひや紅葉狩」の句碑があります。

【劉寒吉】

岩下俊作と幼馴染で活躍していた作家で、岩下俊作、中村暢と「とらんしっと」を創刊し、 また「九州文学」にも携わりました。 「阿蘇外輪山」「山河の賦」など郷土の題材にした作品が多く、北九州の文化の向上にも 尽くし、幾度も芥川賞や直木賞の候補に挙がりました。 文学碑は文学館横城内にあります。

【仰木実歌碑】

小倉祇園祭の八坂神社境内にある文学碑で、小倉城を詠んだ歌です。 自筆で「風おちてゆふくもなひく街の空 しつかに城はそひえたちたり」 仰木実は昭和28年に八幡で歌誌「群炎」を創刊、編集発行人となります。 歌集にも「風紋の章」などがあります。

【丸橋静子句碑】

これも小倉祇園祭の八坂神社境内にある文学碑です。 丸橋静子はホトトギス同人で、杉田久女、高浜虚子らの指導を受けており、小倉南区にある 大興禅寺にも句碑があります。